時を翔けるトレイン・デンライナー。
その一画は、本来食堂として機能していなければならない車両だというのに、何の因果か特異点こと良太郎に憑いてしまったモモタロスとウラタロスの居住地と化していた。
普段はほとんど客もいないのでやりたい放題の野放し状態を許可してあるが、昼時ともなるとそうもいかない。
「おい、良太郎は来ないのか?」
「さぁ、どうかな?まだ店の手伝いの時間だから、終わったら来るかもしれないし来ないかもしれない」
向かいに座るウラタロスにあやふやな返答をされて機嫌が少しだけ降下する。
話し掛けたのは自分からだったが、やめとけば良かったなんて今更思っても遅い。
そしてまた二人の間に無言の時間が訪れた。
無理に会話をする必要は無いのだが、同じテーブルについているため甚だしく気まずい雰囲気が流れる。
良太郎がいるならばまだしも、気が合うとは言えない二人が同じテーブルにいるのは珍しいことだが、これはモモタロスの名誉にかけて弁解すると、好きで座っているわけではなく一般客が多かったため、嫌だという主張を聞いてもらえずに一所に追いやられたという理由からである。
人間を脅かす存在として恐れられているイマジンも、この車両の人間には形無しに近い。
モモタロスは、自分特製のにブレンドされたフレーバーコーヒーを啜った。
オーダーしなくとも運ばれてくるコーヒーは、モモタロスの好みに合わせてあるため気に入って当然といえば当然であるが、今日のコーヒーは一段と美味い。
また改良され進化たのだろうか?と、ケロリと機嫌が直ったモモタロスをウラタロスは物珍しそうに見やった。
「なぁに見てんだよ?」
「別に。何処を見ようと僕の勝手だ」
見るのは勝手だろうが、見られる立場としては文句の一つも言いたくなる。
「黙って見てられると気色悪ぃんだよ」
「それなら何か話す?先輩と仲良〜くお話し出来るなんて光栄だなぁ」
見え透いた嘘がつらつらとウラタロスの口をついて出てくる。
ここまで徹底されると、ウラタロスにとって嘘は社交辞令と同等ではないかと思える。
そのため直せといって直るはずもなく、もう人格の一部として認識するしかないと諦めて接するしかないだろう。
「思っても無いこと言うな。胸クソ悪い」
モモタロスはフイッと窓の外へ視線を逃し、半分ほどになったカップの中身を意味もなく回した。
それでも視線がずっと自分に纏わり付いているのを感じたモモタロスは、視線だけを動かして横を見遣るとバッチリ目線が合った。
「やい!ウラタロスっ!なんか文句でもあんのかぁ?!」
「良太郎がいなくてつまらないのは解るけど、いちゃもんつけられてもねぇ。いくら先輩でも八つ当たりはいけなんじゃない?」
そんなつもりはないと口吃るモモタロスを見て、なんて可愛いんだろうとウラタロスは感じる。一つ言うと十くらい反応が返ってくるところが単純馬鹿で解り易いし、こんなにからかいがいのある相手は久しぶりだ。
フフフフと声に出してこそいないが、ウラタロスにうっすらと笑みが浮かんだ。
そこへナオミがトレーにカップを載せてテーブルに近寄って来た。
周りの客が引けてきたようで、自分達に気をかける余裕が出来たのだろう。
「モモちゃん、コーヒーのお代わりは?」
「おぉっ、気が利くじゃねぇか! ちょうど空になったばかりだ」
パッとモモタロスの表情が明るく変化する。
それがウラタロスにはちょっと悔しい。
「今日のスペシャルブレンドはどうだった?」
「おぅっ!ま〜た腕上がったんじゃないか?バッチリ俺好みに仕上がってたゼ」
俺好みというのは、なんと淫靡な響きだろう。僕の好みになれば良いのに…と考えたところで、ナオミからのコーヒーを勧める声に気付いて、ウラタロスはいかんいかんと不穏な笑みを隠した。
幸いにもモモタロスはコーヒーに興味を気を取られていて邪な考えに耽っていた自分を見ていなかったと思う。緩んでいた表情に気付いていたらまた気色悪いとか言いそうだ。
ナオミからカップを受け取りながら、たらしモードに切り換えた声で言う。
「わざわざ僕のために入れてくれたのかい?」
「いや、テメーのためじゃなくて、この俺様のコーヒーのついでだ!」
聞き捨てならないとばかりにモモタロスが割って入るが、ウラタロスは全く無視を決める。
その態度がモモタロスは気に食わない。
「テメッ、ウラタロスっ!無視すんじゃねぇ!」
「ああ、何か言ったかな?センパイ」
しっかり聞こえているくせに全然聞いていませんでしたという態度を取るところがますます腹立たしい。
「はいはい。モモちゃんもウラちゃんもケンカしちゃダ〜メ。それぞれみんなのことを思って入れてるんだから」
実際のところ誰のためでもなく、遠慮も気兼ねもなく規定外のトッピングを試せしたいというナオミ自身の趣味のためなのだが、それは秘密である。
「みんなのためだなんて、さすがだなぁ。ナオミさんは。自分中心に世界が回ってると勘違いしてる何処かの赤いイマジンとは大違いだ」
「このカメ野郎がっ!今日こそ勘弁ならねぇッ!」
立ち上がったモモタロスは今まで座っていた椅子に蹴り壊しそうな勢いで片脚を乗せ凄むが、トレーを抱えたまま動じずニコニコと笑みまでも浮かべるナオミが言った。
「あ、お客さんいなくなったからってこの前みたいにここの備品壊したら、ハナちゃんに言い付けちゃうから気をつけてネ☆」
「それはないんじゃないのか?お、おいッ、ナオミっ!」
ハナの恐ろしさを身を持って知っているので、それだけは勘弁してほしい。
おそらくどんなイマジンでも特異点でもハナには勝てないだろう。
ナオミが離れたのを見計らってウラタロスは呟いた。
「獲物が大きいほど挑戦したくなる」
「なんか言ったか?」
「気のせいだと思うけど?」
難しい釣りだからこそ興味をそそられる。
目下のターゲットはナオミに言われたことを真に受けて間抜けな面で慌てているイマジンだ。
そのイマジンは暫し目を白黒とさせて、断ち切られた闘志のやり場を見失ったことに苛々していたが、漸く収まりがついたのか椅子に座り直した。
「しょ、しょうがねぇなぁ。ナオミに免じて今日は見逃してやる」
さも自分が優勢な立場にいるように言うが、上下関係では一番下にしか見えない。
「キャッチ&リリースは良い行いだけど、釣った魚が大きくなるとは限らないんだから、あとで後悔しても知らないよ?」
「はぁ?」
意味が分からないとばかりにモモタロスは声を上げた。
単細胞のモモタロスには僕の才知溢れた言葉の意味など解らないだろうと見下した目で見るが、実際のところウラタロス独特の言い回しはモモタロス以外にも理解しがたい。
「そういえば、ナオミちゃんからモモタロスは甘党だって聞いたけれど、それも甘いの?」
見るからに甘そうなピンクのクリームが乗った飲み物は、もはやコーヒーと呼べるのかも怪しい。
「テメーだって似たようなもん飲んでんだろう?」
「そう見える?だったら飲んでみれば?まだ口を付けていないからあげるよ」
じぃっと青いクリームが渦巻くカップを覗き込んだ後、モモタロスは嫌そうな顔をする。
「テメーと同じで生臭そうだからいらない」
「失礼な。ふぅ、これだからモモタロスは…」
やれやれと大袈裟にポーズを見せる。
「何だよ、そのモモタロスはってのは?!テメーが一番失礼だっ!俺様には俺様の好みがある。そんな得体の知れないもんなんか飲めるかっ」
「見た目はそんなにも可愛くないのに、甘ぁ〜いのが好みだなんておかしいを通り越して滑稽に思えるよ」
「うるせぇ!見た目に関しては良太郎がセンスがなかっただけだっ!」
好きでこんな姿になったのではないと主張する。
「僕は結構満足かな。だって、もし良太郎が少女趣味だったら、こんなもんじゃ済まなかっただろうし。まぁモモタロスにしてみれば、カワイイ姿にしてもらったほうが良かったのにねぇ。お似合いかもしれないよ」
モモタロスの頭の中で自分の『カワイイ』姿が思い描かれる。
しかし想像力が乏しいため、その姿はヒラヒラした服を着て角にリボンを付けたモモタロス以外の何者でもないのだが、それが余計気持ち悪い。
「うぉおおッ!!ありえねぇ!気持ち悪ィッ」
まるで頭上に妄想した姿があって、必死でそれを掻き消そうと腕を振り回している。まったく落ち着きがないイマジンだ。
そんな時、スウッとデンライナーが停まった。高速で走る割に振動はない。
パスと時刻さえ判れば何処からでも乗れるこの電車の停車時刻は不規則だ。
もっとも、時の中を走っている間の時刻感覚は曖昧なので、乗客はさほど気にならない。
短い停車時間を終えて、再びライナーが動き出すとほどなく食堂のドアが開き、良太郎が姿を現した。
「モモタロスもウラタロスも仲良くしてた?」
のんびりとした口調で二人に柔らかく笑いかける。
「良太郎ぉっ」
「どうしたの?モモタロス?」
待ってましたとばかりに駆け寄ってきたモモタロスへ、経緯を知らない良太郎は小首を傾げて不思議そうな声で聞いた。
「お前のせいで俺はこんな姿になったわけだが、だいぶ格好良さが足りなくとも何だか良く分からないお伽話が元だったとしても、俺はこのままで十〜分だからなっ。あぁ良太郎で本当に良かった」
「えっと、ここは怒るところ?それとも喜ぶところかな?ねぇ、ウラタロ…」
モモタロスが席を立ったのをチャンスと思い、テーブルの対面側にあるカップへ手を伸ばしたところを良太郎に目撃された。
ちょっとばかりモモタロスのコーヒーの味を知りたいという好奇心に駆られて手を出しただけなのだが、見つかったという気まずさと相成って、ウラタロスは肩を竦ませた。
「良太郎の好きにすればイイんじゃない」
がっしりと良太郎の両肩を掴まえて、あんな奴の言うことなんて聞かなくていいとモモタロスが言う。
「もちろん、ここは喜ぶところだ。良太郎!」
「モモタロスがそう言うなら、そういうことにしておくよ」
「おぅ!」
花が飛んでいるのが見えそうなほんわかとした雰囲気の二人の目を盗んで、ウラタロスはピンクの液体をほんの少しだけ口に含んだ。
糖度は高いが甘さはしつこく感じない。
「…案外クセになる味かもしれない」
馬鹿にした手前、ちょっとでも美味しく感じたのが悔しくて、モモタロスのカップを戻し自分のコーヒーを飲み下した。
その姿を見て、良太郎が僅かに笑んだことは誰も気付かなかった。
おわり