小説 武男 様
アデス×クルーゼ





どうか安らかな眠りを―――






 ヴェサリウスは三交代制のシフトをしいている。私は艦長だが、それでも勤務時間は半分ほどだ。本当はもっと休めと上官に言われているが、まぁ、これが性分なのである。

 今日の時間の勤務を終え、アデスは仮眠を取ろうと艦長室へと向かった。と、足が止まる。何かを感じたという格好のいい話ではない。ただ、足が止まったのだ。

 止まった場所は、隊長室の前だった。しばらくじっと、物言わぬ扉を見つめる。

 だが、どうしても心のざわめきは無くならなかった。

「隊長?アデスです。隊長?」

 外の端末越しに呼び掛けるが、返答はない。これまでも幾度かこういうことはあったが、今回のこれは違う。そう確信できた。

「…入りますよ。」

 暗証番号を入力し、ロックを解除して入る。何で私がこんなものを知っているのかと思うかもしれないが、役職上仕方が無いのだ。

 艦長と隊長。連絡をスムーズに行うために、互いの部屋の行き来が自由にできるようにしている。そして、この人は変なところがものぐさというか、自信過剰というか、滅多なことで扉をロックするようなことはしていない。だが、今回はきちんとロックがかかっていた。ということは…非常にマズイ状況である。

「隊長!」

 扉を開けたアデスの目に飛び込んでいたのは、想像していた通りの光景であった。






―――話は2分前に遡る。

 ラウは頬杖をつき、今後のスケジュールを確認していた。彼が眠ることはほとんどない。寝たとしても、とても眠りが浅かった。

 そういう風に訓練したから、というのもあるが、それよりも深刻な理由があった。

 それは突然にやってきた。

 全身を襲う強烈な痛みと鈍い感覚。口の中に鉄の味が広がり、全身の筋肉が強張る。胸を強く握りしめた。

「…ハァッ、ハァッ、ハッ…。」

 息が浅く途切れる。体がバラバラになりそうな感覚を何とか押し隠しながら、扉をロックして、机の引き出しを開けた。中にしまわれた、ピルケースを取り出す。

 震える手で、青と白のカプセルを手の平の上に放る。震える口へと持っていくが、寸でのところで頬に当たり、床へと転がった。瞬間、彼の体が大きく痙攣して、床へと滑り落ちる。

 低重力下であったために、それほど体を打ち付けたわけではなかったが、今度こそ体は動かなくなっていた。

「ハッ、ハッ、ハッ…。」

 仮面に隠された目は大きく見開かれている。心臓は痛い程に胸骨を叩き、血はかつてない早さで巡っているはずなのに、冷や汗が止まらない。自分はこのまま死ぬのか…と、妙に醒めた頭で思った。

まぁ、それでもいいさ。

まだやることがある。

 相反する思いが何とか命をこの場に繋ぎとめようとする。

誰も来ない。誰も気づかない。子どもの時からそうだった。

だから、絶望なんてしない。

 ラウは静かに目を閉じた。だが、諦めたその心を、一人の男が引きとめた。

「隊長!」

 ラウは、はっと目を開けた。

 「生きろ」と言われたわけではない。「必要だ」と言われたわけでもない。だがその声を聞いた瞬間、「生きたい」と強く思った。

「あ…あぅ…。」

 呂律が回らない。だが男はそれでも何かに意味を見出したのか、慌ててこちらに来ると、もはや感覚すら失った体を抱き上げた。

 暖かい…。

 何故かそう思った。

「隊長!もう大丈夫ですからね!私がいます!」

 その言葉だけで充分だった。ラウは一筋の涙を流していた。仮面に隠されていて見えなかっただろうが、それでも、血のように暖かい涙を流していた。

 アデスは床に転がったカプセルと、ラウの手に握りしめられているピルケースを見て、全てを理解した。なるべく痛くないように、だが素早くケースをもぎ取る。

「隊長、口を開けてください!今薬を…!」

 ラウは呻きながらも必死で口を開いた。その中に、ピルケースから取り出した薬を入れる。だが、ラウは飲み込むことができず、吐き出してしまった。

 情けなくなって、ラウは自分自身に悪態をついた。アデスはどうしたらいいかと考えを巡らせ、やがて意を決したように、苦しそうなラウの顔を見つめた。

「…失礼します。」

 カプセルを自分の口に含むと、何とラウに口づけた。

「…!?」

 ラウは一瞬目を見開くが、抵抗しなかった。そうこうしている内に、アデスの湿った熱い舌が、飲み込みやすいようにカプセルを喉の奥に押し出した。

 ラウは喉を鳴らす。今度こそ、カプセルは喉を下っていった。

「……。」

 アデスはラウが落ち着いたのを感じ、ゆっくりと口を離した。まだ息は荒いが、大分穏やかになっている。

「飲めましたか?」

 ラウはのけぞっていた首を落とすようにしてうなずいた。もう力が残っていないのか、首はしだれたままになった。

「……っ。」

「ん?何ですか?」

 雑音のような声が聞こえ、アデスは唇に付くくらいに耳を近づけた。

「…心配かけた…。」

 ほとんど息のような声でつぶやかれた言葉に、アデスはほほ笑んだ。

「いいえ。隊長の心配をするのが、艦長の役目の一つですから。」

「…い。」

「はいはい。少々お待ち下さい。」

 アデスはひょいとラウの身体を抱き上げると、簡素なベッドの上にそっと横たえた。出来ればしわにならないように服を脱がせてあげたいが、それは負担になってしまうだろうからやめた。

 薄い掛け布団をそぅっとかけてやる。

「?」

 視線を感じて見下ろしてみると、ラウがじっとこちらを見ていた。と言っても、仮面で目は隠されているのだから、そんな感じがした、と言った方が正しいのかもしれない。

 アデスはそっと冷えてしまった額を撫でた。

「大丈夫ですよ。目覚めるまであなたのお側を離れません。ちょうど非番ですしね。」

 だから安心してください。

 ほほ笑んで言った言葉に、やっと安心できたのか、ラウは息を一つ吐くと、寝てしまった。最初は浅く、徐々に息は深くなる。

 眠ってしまったと確信すると、アデスは額から手をどけ、ベッドの外にしゃがんだ。小さな子供をあやすように、ぽんぽんと一定のリズムで軽く胸を叩いてやる。

「どうか安らかな眠りを―――。」

 アデスは眠っている人に向かって、まるで祈るかのようにつぶやいた。











 数時間後、ラウは目を覚ました。胸に重みを感じて見てみると、浅黒く無骨で大きな手が置かれている。隣に顔を向ければ、黒い軍帽のてっぺんと、よく知る男の寝顔が見えた。

 ラウは天井を見ると、猫のような声を出しながら、鼻から息を吐いた。

 久しぶりに良く眠れた。そして寝覚めも最高だった。

 発作の直後はいつも体がバラバラになるように痛い。いや、痛みはまだいいのだ。もっとひどいのは虚脱感だった。

 何もかもどうでも良くなるような、このまま自分が腐っていってしまうような、そんなどうしようもない感覚。そんな感覚にいつも襲われて、世界にも自分にも「死ね」と言われているようで、大声を上げて泣き出したくなる。

 だが、今回は違う。

 確かに虚脱感はあるのだが、それはどちらかと言うと、「まだまどろんでいたい」という目覚めた時特有のワガママな感じだった。こんな目覚めは初めてだった。

確かにこれなら、皆が「眠る」という行為に執着する理由が分かる。自分でさえ…まだ寝ていたいと思うほどだ。

そう言えば…

 ふと、ラウは思った。

この艦に来てから、眠りが深くなったような気がする。疲れることも、あまり無くなったような気がする。発作は相変わらずだが、それも…どうしてだろう?

 ラウは無意識に唇をなぞっていた。何回も何回も、そこにある何かを指に感じ取ろうとするかのように。

「ん…。」

 低い声が聞こえてきた。顔を向けると、

「隊長…。」

 という言葉が聞こえてきた。

 言った主は、眉間に皺をつくっている。

 大方、また自分に振り回された夢を見ているのだろう。ラウはくすりと笑った。そして、ふいに気付いた。

あぁ、そうか…。この艦に来たからじゃない。この男と出会ってからなんだ。

全部、そうか…。

 ラウはほほ笑んだ。

 それまでのラウの世界は全てが偽りだった。色も、自然も、人も。

 絆も、情愛も、自分も…。

 ただ、死だけが本物だった。それだけは、自分を裏切らなかった。だから、強く惹かれた。死を与えることも。自らにそれが襲いかかることも。

それで、この世界が終わるのなら…。

 だが、この男だけは違った。出会ってからこれまで、この男が与えてくれたものは全て、?本物?だった。この熱も、暖かさも、痛さも、心も、全部…。

 この男は裏切らない。例え私が終わりを願っていると知っても、「仕方が無いですね。」と、いつものようにちょっと苦笑して、私の傍にいるだろう。私が思い描く?終わり?のその瞬間まで。

『全てを知りたいか?』

『いや。知ってしまえば、それしか見えなくなってしまうから。』

 初めて会った時に言われた言葉。ラウが一生の中で一番言って欲しかった言葉。

 知った振りをすることはできる。そして、同情する振りはできる。だが、この男はそれをしなかった。決して自分では分かることはできない。だから、自分ができる精一杯であなたを守ろう。

 鼻の奥が痛くなる。ラウは歯をくいしばって耐えた。

 痛みに?違う。

 嬉しさに。

アデス…お前は私をどこまで染めれば気が済むのだ?

「っ…。」

 アデスは今度こそ目を覚ました。ぼぅっとした瞳でラウを見る。しばらくして、やっと正気に戻った。

「申し訳ありません…!」

「いや、いい…。」

「あっ…!……?」

 急いで引っ込めようとした手を、ラウが握った。

「もう少しここにいろ。」

「は?」

 手に力がこもった。

「もう少し、ここにいろ。」

 釘を刺すように、ゆっくりと復唱される。

「は、はぁ…。」

 寝ているのか寝ていないのか分からず、アデスはどうしていいのかとラウと自分の手を交互に見ていた。

 アデスの動揺が面白いように伝わって来て、ラウは満足げに目を閉じた。







ヴェサリウス時代の甘い香りの二人をありがとうございます!
終わりが確実に迫っている隊長にとって
その時間を暖かいみのにしてくれるアデスという存在が
傍にいてくれて本当に良かったと思うばかりです(≧□≦)
どうかひたすらの甘い時間をっっ
素敵なお話ありがとうございますっ
まだまだ二人の物語が続くのが嬉しいですーvvv


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